こんにちは、リトリーブサイコセラピーという心理療法を使って、心の問題の根本解決をお手伝いしている 心理セラピストの ひがしさやか です!
今日は「家系のために生きる人々」をテーマに書いていきますね。
家系のために生きる人々〜とある既婚男性のケース
セラピーをしていると、
「家」を背負って生きること
で、深刻な生きづらさを抱えている人たちに出会うことがあります。
先日のこの記事を書いていて、こんなケースがあるなと、一つ、思い出したんです。
とあるお酒の席で、ある既婚男性が「結婚して失敗した」と、連呼していました。
私はびっくりしました。
驚いたのは、人目をはばからずに、後悔を堂々と口にしていること。
それに加えて、普段のその男性はいわゆる優等生タイプ…表向きには仕事も結婚も充実しているようにみえていたから。
その人は、人当たりもよくスマートなので、王子様のようだと、女性にも人気でした。
実際、すごく優しいのです。やりとりにそつがない。容姿も端麗。
でも、私はその人と話していて、なんと言うか、手応えのなさを感じていました。「理想的な男性・理想の夫」という枠があるけど、魂がそこにない…「心ここに在らず」な感じなのです。
後から聞くと、浮気も頻繁にしていたよう。
心にポッカリ穴が空いているような、スカスカな感じがしてました。
自分の人生を生きていない。役割で生きる人たち
どうして?と思っていましたが、心のことを勉強するようになって、少しわかったことがあります。
おそらくその方は
自分の人生を生きてないんです
彼の祖父は地元の名士。
祖父母には男子はおらず、長女の第一子である彼が跡継ぎとして育てられたそう。
学生時代から成績も優秀で、性格もよかったと聞きます。
彼は、名士の跡継ぎとして期待に応え、それに相応しい振る舞いをしてきたのでしょう。
跡継ぎとして「理想の長男」像を、忠実に演じてきたのではないかと思うのです。
跡継ぎとして家を次世代に繋いでいくことが彼に課せられた使命です。
そして、そこに自分の人生を生きることは許されていません。
浮気は自分を生きられないことのストレスの解消。。
…そのポッカリ感だったのかな~という、あくまでも様々なケースと照らし合わせた、私の推測です。
家系をつなぐのが、人生の命題
〈家系を引継ぐことが第一優先、そのための人生〉
田舎の長兄の家や、医者、地元の名士と言われるようなお家に多い価値観です。
跡継ぎはもちろん、その家族を構成する人たちみんなが、家を次世代に引継ぐことを最優先にして生きています。
そしてこれ
〈家族の人格は無視〉
なんです。
セラピーをしていると、とっても多いのが、この家長制度からくる生きづらさ。
家を継ぐことが生きる価値。
世間体が第一。
そうやって、周りの目を気にしながら、家という枠組みを守るために、みなが我慢して、自分を殺していく。人柱なんです。
特に、家を継ぐことを担った人は、家族や祖先の命を丸ごと背負いこむような重圧を抱えていく。
長男の嫁は跡継ぎを生むことを存在価値とされ、産めなければ、自分を責め続け、肩身の狭い思いで、奴隷のように家庭の仕事をする。
長兄以降の子どもは、家系に必要とされない存在として「いてもいなくてもいい」という無価値感を抱えながら生きていく。
そういう生きづらさを皆が抱えていきます。
家系なんて枠に過ぎないのに、そこに命の価値があると思い込むんです。
自分を犠牲にして、家を保つために頑張ってきた祖先のために、また、次世代も自分の人格を押し殺していきます。
家系を保てば、価値がある、愛される。
世間体を保てば、承認される、満たされる。
そうやって、必死に頑張っていますが、実質は〈道具として扱われる虚しさ、寂しさ、怒り、重圧の恐怖、先祖への罪悪感〉・・・人格を無視されてきている、無価値感や孤独感を満載に溜め込んでいます。
本当は、命の価値や愛情って、家を保てば、世間の承認があれば、与えられるものではないんですよね。
でも、それをすれば、なんとか、埋まると思ってる。
人格を無視されて生きる、心のスカスカが。
勘違いなんですけどね。
本当に欲しいのは、あなたは人間だよって認められること、無条件にここにいてもいいという感覚。自分の感覚を優先して生きること。
そこに許可を出せないから、家族の強力な価値観の枠組みの中で、自分をなくして、家族の期待に応えて、家系を背負って、生きていく。
その生き方しか知らないからです。
でも、本人が本気で望めば、別の選択肢を自分の未来に用意することもできるんです。生き方は選べる時代になりました。
そこには、
家族への罪悪感
家族とのつながりが切れる恐怖
家族を守れない恐怖
先祖への畏怖
様々な感情が伴っています。
その感情と向き合っていくことが必要になります。
そこはセラピーでお手伝いしています。
いろんな感情が張り付いてますが、実際には、自分を生きても怖いことは起こらないものです。
家という張りぼてを後生大事にして、中の人間は無視って、本末転倒なんですよ。すごくバカバカしいことだって気づいて欲しいです。でもこれで死にたくなる人がたくさんいる。だから、この問題って深刻なんです。
自分の人生を生きない見返りがある
ただし、自分をなくして、家系のために生きることにも見返りが満載にあります。
自分をなくして、家系を継げば、財産や名誉が手に入る。
財産があれば、何も考えなくてもとりあえず、生きていけます。
(これが一番大きい…)
家長というポジションで、承認が得られます。
名誉が得られ、自分の価値をひとまず感じられます。
家族とのつながりが感じられます。
そして、先の男性の「結婚して失敗した」という発言に見られるように、自分の人生や自分の選択に、責任を取らなくていい。
自分で選んだんじゃなく、押し付けられた役割だから…と逃げられるんです
(クソだなって思います。あ、失礼。問題の責任は自分に戻さないと、解決に進めませんからね)
家長の役割を担うのは苦しいけど、我慢しているストレスをほどほどに吐き出して、メリットを享受して生きていく方もたくさんいます。
でも、吐き出すってことは、本音はその生き方が苦しいってことです。
それを無視して、自分を誤魔化してメリットを受け取って生き続けるのか?
自分の人格を、自分の人生を取り戻す生き方を再選択するのか?
選択は自由です。
新しい選択には、巨大な罪悪感と恐怖があるはず。
でも家族の人格を無視して犠牲的に生きる子孫をこれからも残していくのはいいのでしょうか。
決意すれば、自分の代で終わらせることもできます。
解決のために必要なことは・・・
●問題の責任を自分に戻し、自分の代で終わらせると決める
●「家」を背負うメリットと向き合う
●自分の人生を生きると決意し、その先にどうなりたいかを責任を持って描く
●自分の人生を生きる恐怖やそれに伴う感情に向き合う
家のために生きる人は、自己肯定感も低い・・・
家のために生きる人は、自分の人格を無視されてきています。
だから、実は、自己肯定感が低いまま、生きてきています。
自分の存在を肯定していければ、自分の人生を生きることにも許可ができていきます。
解決の一歩に、こちらのセミナーもご活用ください。
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