こんにちは、リトリーブサイコセラピー®︎を使って、生きづらさを生きやすさに変えるお手伝いをしています、心理セラピストの ひがしさやか です。
先日、ゴッホ展を観てきました。
とってもいいお天気で、心地よい上野恩賜公園。
ゴッホって、とても短い画家生命だったんですね。
絵画を初めてから、亡くなるまでわずか10年。
生きている間に、評価されることなく、売れた絵はたったの1枚。
何をやっても人とぶつかり、社会に適応できなかった、生きることが難しい人だったとされます。
牧師の父の元に生まれ、親戚のつてで入った画商を解雇され、牧師にもなれず、失意の末に、画家になるしか道がなかったそう。
耳切り事件が有名ですが、晩年は精神を病んで療養院で絵を描いていました。
今回のメインの展示は、その頃に描かれた「糸杉」。
緻密さと強い感情が入り混じっているような、燃えるような糸杉。
狂気の中で、生きづらさを絵に注ぐしかなかったのかと思うと、複雑な気持ちになりました。
でも観れてよかったです。
今、彼の生涯についての本を読んでいるので、いずれ、心理と絡めてブログで取り上げられたらな〜と思ってます。
では、今日のテーマです。
あなたは、自分の意見を求められると、頭が真っ白になることはありませんか?
自分の意見をなくしてしまう時、何が起こってるの?
あなたには、こんなことはありませんか?
- 自己主張しなさいと言われると、頭が真っ白になる
- 自分の意見があるのに言えない
- 正しい解答を探そうとする
- 模範解答は得意だけど、自分の意見がない
- 人の意見に振り回される
- 優柔不断
- カリスマ的な人に盲信しやすい
Gさんのケース
上司から、自分の意見を求められると、冷や汗が出ます。
この人が求めている答えは何か?
この場に即した模範解答は何か?
必死に頭の中で探しているんです。
するとますます、頭の中が真っ白になって、フリーズしてしまいます。
Gさん…「自分の意見」を求められているのに、頭の中では自分以外の人の意見を探しているんですね。
他にも、自分の意見があるのに、人を前にすると分からなくなるというケースもよくあります。
こんな時、心の中では何が起こっているのでしょうか。
これは…
自分の頭で自由に考えちゃいけない
という状態。
・自分の意見を持つこと
・自分の頭で考えること
・自分の意見を人に伝えること
・自分の感性、欲求を優先すること
・自分の気持ちをキャッチすること
を自分に禁止しているんです。
その代わりに
・相手の意見
・相手の考え
・相手の発言
・相手の欲求
・相手の気持ち
を優先し、それに応えなければいけない
と感じているんですね。
自分よりも相手を優先している状態です。
相手の中の正しさを探してしまうんですよね。
うん、これってしんどいですよね。
自分の頭で考えないっていうことは…
自分を持てないし、大切にできないし、自分らしく生きることができないっていうことです。
頭が真っ白になるのは、確信犯…!?
でもね、今は自分らしく生きるよりも、相手を優先する生き方を採用しているということ。
どうしてか?
「自分の頭で自由に考えられない」って、すごーく困る!
と頭では思いますよね?
でもそれを無意識にでも「選択」しているのには、理由があるからです。
問題を抱える〈メリット〉ですね。
それが、このケースでいうと、居場所や安心安全です。
●自分の頭を止めて、相手の支配下に入っていれば、居場所があります
●自分の頭を止めていれば、人が決めてくれるので、自分の発言や行動に責任を持たずにすんで、安心です
実はこれ、
自ら自分の脳を止めてしまっているんです。
無意識だけど、確信犯です(涙)
そうしていたら…
・相手を喜ばせられる
・自分の発言や行動に、責任を持たずにすむ
・誰かの支配下に入っていたら、守られる
・間違えや失敗を経験せずにすむ
((居場所があって、安心安全があって、生きていける…))
そう感じているから、自分の脳を積極的に止めているんですね。
そして、正しさや人の意見に依存していきます。
子どもの頃の感覚で依存し続けてしまう
結局、たった一人では心許ないので、いつでも自分を率いてくれる誰か・何かをイメージの中で自分の前に置き続けているということです。
そして、コミュニケーションのベースは、いつも【支配】と【依存】の関係です。
そのひな形は、「親子関係」です。
幼少期に、例えば、こんな経験をしてきているかもしれません。
・親が支配的で、自分の意見を否定されてきた
・意見や気持ちを聞かれず、親の正しさ、求めることを押し付けられてきた
・過保護、過干渉だった
・親も、依存的で自分の考えを持たない人だった
・失敗すると叱責された
そして、この親子の支配関係から抜けられず、自立を選べない、心が子どものままで止まっている状態が、大人になっても続いてしまっているということです。
目の前に、親の残像を、自分で置き続けていくんです。
だから目上の人、カリスマ的な人、正しそうな人(=親に似た人)を前に、頭が真っ白になったり、その人の求める答えを探してイエスマンになっちゃうんですね。
「支配をしてください!」スイッチがオンになっちゃう。
でもそれをしていたら、永遠に自分の人生は生きられないんですよね。
自分をなくすことでしか、支配って受け入れられないですから。
その我慢した苛立ちを、自分より弱い誰かを支配することで補おうとしていきます。
そうやって、自分をないがしろにし続け、弱いものを犠牲にしていきます。
★支配を受けて、責任を回避して生きるか?
★支配から抜けて、自分を取り戻したいか?
あー苦しいですね・・・
あなたは、どちらを選びたいですか?
そこを抜けようとした時に・・・
親から見捨てられそうな恐怖
親から殺されそうな恐怖
親が死んじゃうような恐怖
自立して孤独になる恐怖
責任を持つと潰される恐怖
そんな恐怖が根底に眠っていることに気づきます。
(深く、感覚に踏み込んでいくと、出てくる恐怖心です)
「自立して、自分の人生に責任を取っていく怖さ」
ここに向き合う必要があります。
支配と依存から抜け出すには
支配の安心感って心地いいけど、まやかしなんです。
だって、我慢の上に成り立っていくものだから。
支配と愛情は、全く別もの!
自分を呑み込むことで生きのびようとしないで。
支配を抜けた先に、自分を生かすための、ホントの安心感を育むことはできます。
この問題を解決するには・・・
●支配を抜けると決める
●自立の恐怖に向き合う
●自分の内側に安心感を育てる
自分らしく生きるなら、自己肯定感を育てることも大切。
こちらのセミナーもぜひ、オススメです。
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