こんにちは。
リトリーブサイコセラピーで、生きづらさを生きやすさに変えるサポートをしている、心理セラピストのひがしさやかです。
このところ、ご夫婦やカップルでセラピーやカウンセリングを受ける方が増えてきました。
いいことだな〜と思っています。
心の問題に向き合うことや、心のケアの必要性がこうして浸透していくのは嬉しいことです。
さて、そんな時に、心に止めておきたいことを今日は書いていきますね。
相手の問題と自分の問題を分けよう
夫婦やカップルでセラピーを受ける時に心に留めておきたいこと。
それは、
相手の問題と、自分の問題を分けること
人間関係で問題が生じる時、多くの場合、お互いの中で反応が起こっています。一方だけに問題がある…という訳ではないことが多いんですね。
だから、それぞれの問題に向き合っておくのは、いいことだと思います。
ところが、、、ありがちなのが
相手に問題があるから、自分に問題が起こっている。
相手が変わってくれさえすれば、自分の問題は解決する!
…と考えることなんです。
例えば、
●「夫がお酒を飲むと人が変わったように暴力暴言を吐きます。普段はいい人なんですが、この夫の問題をなんとか解決して欲しいんです」
●「夫がモラハラなんです。やめてくれたらもっと穏やかな関係が築けるのに」
●「彼が人の気持ちを理解しないんです。もっと、私の気持ちをわかってくれて、優しく受け止めてくれればいいんですが…」
こういう時、意識は相手の問題に捉われています。
相手の問題が解決すれば、自分が抱えている悩みはなくなるだろうと思っているんですね。
相手が〇〇だから〜、相手に問題があるから〜、相手が変われば〜
・・・という風に。
でも基本的に、セラピーやカウンセリングでは、
相手は変えられない
という立場を取ります。
確かに、「あなたに問題があるから変わって!」という言い分を聞いて、相手が変わってくれることもあるでしょう。それでも、言い分を受け入れて変わると決めるのは本人です。
こちらが、変えることを強要することはできないんですね。
強要できたとしても、無理に行えば、いずれ歪みが生じます。
なぜなら、人はやりたくないことを強要されたり、コントロールされることに抵抗を感じるから。
それでも変えられない相手を、変えよう、コントロールしよう、とすればするほど、問題解決は先送りになるし、変わらない相手にイライラして、ストレスが募ります。そして相手が抵抗すると、さらにイライラは増してしまうんですね。
ではどうすればよいのかというと…
●自分がこの関係を選んでいるのはどうしてなのか?
●相手が変わってくれたら、自分は何を感じなくてすむから、相手に変わって欲しいと思ってるのか?
相手の問題ではなく…「自分の問題」を見ていくことなんです。
自分を主語にして。
どう見ても相手が悪いのに!私にどんな問題があるの!?
相手が、相手が〜と、言っている間って、実は自分の中の問題を見なくてすみます。
というと、
「じゃあ、私が悪いっていうの!?」
と・・・
自分が責められているように感じる方は多いかもしれません。
問題があることは悪いことではないし、責めてもないですからね。
自分の問題に向き合うのは痛みを生じます。
変化は人にとって痛みを伴うものだから、そこに抵抗が起こるのは当たり前のこと。
でも、二人の問題を変化させたいと望むなら、そのリスクは一方的に押し付けるものではないよねって私は思います。そして、まずは自分から変化することが、お互いの関係にクサビを打ち込むことになります…
では、自分からはどう見ても相手が加害者に見える時…自分が向き合うべき問題ってどうしたら見えてくるのでしょうか。
一つケースを見てみましょう。
・・・
「夫がお酒を飲むと人が変わったように暴力暴言を吐きます。普段はいい人なんですが、この夫の問題をなんとか解決して欲しいんです」
例えばこのケース・・・
一見、
アルコール依存の夫/被害者の妻
という関係に見えるかもしれません。
夫は普段ネガティブな気持ちやストレスを抑圧して、いい人でいないとダメだと思っているのかもしれません。その抑圧した気持ちをお酒を使って解消し、妻にもぶつけているという夫側の問題が見えますね。
一方で、、、妻はというと??
●お酒を飲む夫になぜ、お酒を与え続けるのか?
●どうして相手から今すぐ離れないのか?
●本当はいい人だから立ち直るはずと、支え続けるのはどうしてか?
妻を主語にして、妻の抱える問題を見てみると・・・
・可哀想な人を助けていたら、自分の価値を感じられる
・ダメな人を支える自分でいないと、無価値感を感じてしまう
という感覚を持ってるケースがあります。
誰かを助けているちゃんとした自分に価値を感じていたり、誰かに尽くしていないと自分は愛してもらえないと思っていたり、可哀想な人をみると胸が苦しくなって放って置けない…という、本人の中の問題があるんですね。(あまつさえ、被害者でいれば人から同情してもらえると思っているかもしれません…)
そうすると
ダメな人がいてくれないと、自分の価値を感じられない。
実は夫にアルコールを許すことで夫の依存に加担していた。
という妻側の問題が見えてきます。
夫はダメでいても妻が支えてくれるし、離れないからとタカを括っているかもしれません。そして何をしても離れないことを確認し、ダメでいたら愛してもらえるという成功体験を重ねてしまっているかもしれないんですね…
こんな風に、相手の問題に向けていた意識を、自分に戻すことで見えてくる問題は変わってきます。
自分の問題になれば、解決に向けて何に向き合えばいいかがわかってきます。
この妻の場合で言えば、誰かを助けていないと自分に価値を感じられない、自分の命に対する自信のなさや、無価値感、心細さ、孤独感、に目を向けて癒していくことだと思います。
お互いのニーズがぴったり一致しているパートナーシップ
先も触れましたが、人間関係で問題が起こる時は大体、お互いの間で反応が起こっています。
それも、夫婦やカップルの場合って、ちょうど、凸と凹が一致していることが多いんですね。
先ほどの
アルコール依存の夫と、それを支える妻の関係もそう。
凸 ダメでいたら愛してもらえる
凹 ダメな人を支えていたら生きていられる
お互いの凸と凹がぴーーーーったり、一致しているんです。
他には、冒頭の例でいうと・・・
「夫がモラハラなんです。やめてくれたらもっと穏やかな関係が築けるのに」
凸 妻にモラハラしていたら、自分の中の劣等感を感じなくてすむ
凹 相手のモラハラに怯えて我慢していたら、孤独にならなくてすむ
*・*・*
「彼が人の気持ちを理解しないんです。もっと、私の気持ちをわかってくれて、優しく受け止めてくれればいいんですが…」
凸人に関心を持たずにいれば、煩わしいことはないし、自由でいられる
凹自分は誰にも気持ちをわかってもらえない存在、最初からそう思っていたら傷付かない(だからそれを証明する人を無意識でパートナーに選んでしまう)
こんな風に、人は自分のニーズにハマる相手を無意識に選んでいるんですね。
それがどんなにネガティブな関わりであろうとも、無意識に根付いている慣れ親しんできた人間関係のあり方を、目の前に再現していきます。
つまり、ぶっちゃけ、相手が変わったところで、自分が感じている問題は解決しないことがほとんどなんです。人を変えて、また同じ関係を再現してしまうから。
(残念すぎるお知らせ・・・!!!泣)
相手に不満を抱きつづけていること自体が人との関わりだったり、不幸でいる関係が無意識に心地良いと思っていることがそもそもの問題だったりするんですよね。
うげげ…無意識って怖いですよね。
・・・・・
自分のあり方に合わせて、人も変化します。
相手にそう振る舞わせていることに、自分は必ず加担しています。
どんなに嫌な関係であっても、それを受け入れて許しているのは自分なんです。
どんな時もお互いに影響を及ぼし合いながら、人と人との関わりは生まれています。自分が変わると、相手の反応も自ずと変化し、お互いの関係やバランスは変化していきます。
変化の先には、もしかしたら、最初は望んでいなかった関係が待っていることもあるかもしれません。よくも悪くも。
あなたの変化を受け入れられずに、相手が離れていくこともあるかもしれませんし、自分が思っていた相手の問題は、そもそも自分の思い込みだったなんてこともあります。
でも、問題を手放した先は、ネガティブなつながりではなく、心地よさでつながる関係を築いていくことができると私は思っています。
まとめ
現状のパートナシップに、苦しさを抱えているのであれば、まずは相手…ではなく、この人間関係を選んでいる、自分の問題をみていくことが先決です。
相手の問題は相手のもの。自分の問題は自分のもの。
解決の責任も、主導権も、それぞれ本人が持っています。
それはお互いの命や生き方を尊重することでもあります。
相手をなんとかしなきゃ〜!!!
…と、相手の問題解決に躍起になってしまう時は、自分の問題から目を逸らしている時ですよ。
(グサッとくるよねw …そうそう、その痛みに向き合うことなんですっ)
それでは、また。