休めない、休むのが怖い心理

こんにちは。
心理療法リトリーブサイコセラピー®︎を使って、心の問題解決を援助する心理セラピストのひがしさやかです。

緊急事態宣言が延長となりましたね。

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5月は引き続き、遠隔でできる電話カウンセリングを中心にセラピーを行っております。
ご自宅でできるセルフケアなどもお伝えしています。
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ずっと家にいるとね、食べることが増えました・・・
お菓子が止まらないの;;

(わかるでしょ?ねぇ、わかるよね?)

さすがに自粛太りに危機感を感じて、
ストレッチや長距離ウォーキングをやおら取り入れております。

さて、こんな風に、わたくしゆるゆるの自粛期間を過ごしております…

自粛になって一番感じるのは、体力の消耗がないこと。
移動がないもんね。

物理的に動けないので、止まる、休むしかない方もいるかと思います。

仕事ができずに、自宅待機の方もいらっしゃるでしょう。

そんな中で、ちらほら見かけるのが・・・

「時間があるのに、休めない(家の中で動きっぱなし)」

「人の役に立てない自分には価値がないと感じる

という、声。

普段、活動し続けているときは気づけないことですが

これって、生き方の根っこに関わる重要な問題と紐付いてます。

今が向き合うチャンスかもしれないです

休むことは罪?

あなたにはこんなところ、ないですか?

  • ぼーっとできない
  • いつも何かやるべきことを探している
  • 例え病気であっても、休むことに罪悪感がある
  • 誰かの役に立っていないと居心地が悪い
  • 人に価値を与えなきゃいけないと思う
  • 仕事ができない自分は生きている価値ないと思う

SNSでね、こんな投稿を見かけたんです。

いつも忙しく動き回ってることが好き。
休みの日も勉強したり、運動したり、有意義に過ごしたいので、ダラダラしない。
例え具合が悪くても、休んでると「自分はダメなやつ」だと感じてしまうから、動けなくなったら、自尊心を失ってしまいそう。

自粛要請で、自宅待機になった。
家ではひたすら時間がある…
給与の補償もあるし、休んでいてもいいのに…全く休めない。
大変な思いをされてる方もいるのに申し訳ない。
結局、一日中動き回って、掃除したり、何かやるべきことを探してる。

私ね、仕事にやりがいを感じたり
アクティブに動くことが好きなのって、いいと思うんです。

誰かのために、できることをするっていうのも、とても大切。

でもね、そこで自分の体調を脇においても

自分をおざなりにしてまでも

動いていたい!

仕事してたい!

誰かの役に立っていたい!

有意義に過ごしていたい!

っていうのは、これはね、問題だと思うのですよ。

「具合が悪かろうと、休めない」

これは、そもそも活動の原動力が「恐怖」である可能性が高い…

動くときには動く。休むときには休む。

本来はこのバランスが取れていることが、健やかに生きるために大切なんですよね。

だって、休むことができないと、肉体はいずれ限界を迎えます。
自分がつらくても、自己犠牲的に動き続けていたら、身も心もボロボロになります。
これはカナリしんどい生き方です。

役に立たない私は、生きている価値がない

活動の原動力が「恐怖」と書きましたが、

これって、どんな恐怖かというと

休んだら、自分は必要とされない存在だと感じて死にたくなる恐怖

だと思うんです。

人に役立つ価値を与えていたら、人の中に居場所がある。
でも、休んでる私は、役に立たない無価値な存在。
そんな私は、見捨てられて居場所を失う。
休んじゃ、絶対だめ!

って自分を常に駆り立てている・・・

勤勉な日本人に、とても多い価値観だと思います。

そして、この価値観を持っている人は

休んでいる人や

自分から見て「役に立たない」と感じる存在を許せません。

イライラしたり、自分と同じように振る舞うように強要したくなります。

そして、心の中で相手を見下します。

そうすればするほど、自分もまた、休むことが恐怖になる無限ループに陥ってしまうんです。

休むことは、攻撃され、バカにされ、いらない存在だと周囲から排除される

この恐怖と共に、自分を駆り立て続ける…苦しいと思いませんか?

自分の存在価値を無条件に

これは、自分の存在価値を、何かができるできないで捉えてることが問題です。

自分に対して、条件付きでないと、生きる許可ができないんですね。

条件は人によってさまざまですが

人を喜ばせていたら、生きてていい
勉強ができたら、生きてていい
親を満足させていたら、生きてていい
仕事ができて、経済力があったら、生きてていい
人よりも優れていたら、生きてていい
努力していたら、生きてていい
人の役に立てれば、生きてていい

などなど・・・多岐に渡ります。

背景は、幼少期に条件付きの愛情で育てられてきたことや、否定され続けてきた人、親の期待を満たせば居場所があったなどのことが考えられます。

存在にプラスα何かがなければ、生きてちゃいけない感覚があるんですね。

止まってしまうと、休む=無価値=死 に直結してしまいやすい・・・

プラスαを生み出せない自分は、生きてちゃいけない ってなっちゃうんですよね

だから、休むことが、めちゃくちゃ恐怖になります。

そして、活動的であることに依存し

役立つ自分、価値ある自分をせっせと磨き続け

もっともっと自分を追い込むことになっていきます。

(ちなみに昔の私は、自分磨き魔でした。
習い事を掛け持ちして、資格の勉強して、動き回っては、ある時エネルギーが切れて動けなくなる…というのを繰り返してました。
これを続けると、鬱になったり、体がもたなくなり強制ストップします。
持続可能な生き方じゃないよね。)

じゃあ、目指すべきところって、何??

というと、、

条件を強化することではなくて、

無条件に、生きてていい

という感覚に変えていくことが重要なんです。

自分で自分に許可を下ろす

あなたは無条件に、生きてていいよ!

というと、たまにね

無条件に生きてていい!
何もできない私を受け入れて!
仕事ももうしない!
社会的責任はもう取らない!
無条件に愛せよ!

って具合にね、

無条件に生きてていいですか?っていうのを人に対して、お試し行動しちゃう人がいるんですが、そういうことじゃないですよ。

子供返りして、本当は子どもの頃に欲しかった愛情を周囲の人(現在の親、パートナー、友人など)に求める行為ですが、これを大人になってからやると、ほぼ返り討ちにあいます・・・大人として崩壊していっちゃうからね

そうじゃなくてね;;

大事なのは

自分で自分に無条件に生きてていいよ

と、許可していくことなんです。

人に許可をもらうんじゃないの、自分で自分に許可を与えるの

ここ、はき違えると一生ゴールに近づけませんからね。

そして、実はそのために、子どもの頃の感覚に戻って、人から無条件に受け入れてもらう感覚を体験することは、重要です。
そのために、準備されたセラピーの場があります。

そして、条件付きでないと生きていけないという認知の歪みを修正していくこと。
条件付きでないと受け入れてもらえなかった、小さな頃の怖さや、怒り、悲しみに寄り添っていくこと。

そうする中で、

無条件に私は生きてていい

という感覚が育っていきます。

そしたらね、休むことも怖くなくなります。

体を労って、休む時には休めたら、活動のパフォーマンスも上がります。

自分の身を削ってまで、価値を生み出さなくてもいいことがわかります。

休むことは、自分の命を大切にすることでもあります。
そしたらね、本当の意味で誰かに分け与えたいという気持ちも勝手に生まれてきます。人に価値を与えるのは、それからで十分。

まずは自分を大切にすることを目標にしてほしいなと思います。

おまけ…自分で自分に休息をゆるす、プチワーク

休む時に、体をなでながらこう言ってあげてください

休んでいいよ、よく頑張ってるね、私。
休んでも、今、怖いことは起こってないよ。
できてもできなくても、ここにいていいよ。
誰がなんと言おうと、私はあなたを見捨てない、味方だよ。

言いながら、どんな気持ちを感じますか?
ー許せない、怖い、ざわざわする、嬉しい、ホッとする
その時の自分の気持ちを観察します

→「怖い」感覚であれば、「怖くていいよ、怖いね」
→「嬉しい」なら「嬉しいね」
と、出てきた気持ちをそのまま受け止めます

良い感覚が得られた方は、これを繰り返してみてくださいね。
恐怖が強まるような場合は、無理はせず、ワークは止めて、専門家へご相談ください。

 

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